置かれた場所で咲きなさいが賛否両論の理由。

本とブッダ

置かれた場所で咲くのは間違い

みなさんこんにちは。

置かれた場所で咲きなさい」という本はご存知ですか?

200万部を超えるベストセラーですので

「言葉だけはきいたことがある!」という人も多いのではないでしょうか。

著者は渡辺和子さん。

29歳から亡くなる89歳までの60年ものあいだ

修道女(シスター)として生涯を生き抜いた方になります。

今回、この本をもとに記事を書こうと思ったのは

口コミを見たときにビックリしたからです

「本に救われた」という人という方がいるのは想定していたのですが、

私が驚いたのは、渡辺さんの人格すら否定するような暴言を吐く書評

それなりに多くあったことです。

何故この本がこれほどの賛否両論を巻き起こすのか。

その理由を知りたく、私は本を買いました。

そして原因がわかりました。

原因についてはこのあと詳しく記載していきます。

その前に今回の記事の結論をお伝えします。

ブッダ好きである私がブッダの教えをもとに

「置かれた場所で咲きなさい」論争に終止符を打ちたいと思います。

〇結論

咲いて良い場所と咲いてはいけない場所がある

何故、そういう結論に至るのか。

そもそも「咲く」必要があるのか。

ブッダの心の科学をもとに論理的に説明しますので最後まで読んでいただければ幸いです。

批判の原因は「根拠無き精神論」?!

批判の内容としては大きく分けて2つ。

  • 心身が崩壊するかもしれないような場所だってある。
  • 置かれた場所で咲けたのは運が良かっただけ。

逃げ出した方が良い時もあるという批判については

著者も「どうしても苦しい場合は逃げても良いのですよ」と書いています。

しかし文量が少ないため、読者の中に残りづらいのです。

それが批判を多くしている一因となっています。

ただ、私がそれ以上に批判の原因となっていると感じるのが

「論理も科学もない精神論」が書かれているということです。

もし置かれた場所で咲くことが幸福に繋がるということが

論理的・科学的に証明できていればここまで批判をされることはないのです。

例えば「健康の為には納豆を食べなさい。

とだけ言われれば

健康を捨ててでも納豆を食べたくない人だっている!

あなたが納豆を食べて健康になったからって私が健康になるかはわからないでしょ! 

という批判が起こるのと同じです。

上の例を論理的・科学的に説明すると以下のようになります。

納豆には整腸作用、免疫力アップ、貧血予防等の様々な効果があり

食べることにより健康を維持できる可能性が高まります。是非食べてみてください

これであれば

嫌いだけども食べてみようかな。

私も健康になるかもしれない。

と共感が生まれるのです。

それでは置かれた場所で咲くことの良さは論理的・科学的に証明が可能なのでしょうか。

はい。

「ブッダの心の科学」で説明できます。

「置かれた場所で咲くこと」は苦しみを減らす。

書籍の中に書かれている

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉や

「今の状況は視点を変えれば多くの恵みを与えてくれている」という考えは

多くの読者の心に突き刺さり、置かれた場所で咲く一助となったことでしょう。

これは心の仕組みを考えれば当然なのです。

何故なら置かれた場所で咲こうとすることは苦しみを減らす場合が多いからです。

ブッダが発見した心の科学をもとに、その仕組みを説明します。

〇苦しみ=痛み(貪り)×抵抗

まず今の仕事に不満を抱いている人がいるとします。

その人が「自分の居場所はここではない」と思えば思うほど苦しみは増していきます。

ここではないと思う理由は人それぞれでしょう。

もっと楽をしたい

もっと大きな仕事をしたい

もっとみんなからちやほやされる仕事をしたい

様々な欲が貪っている状態です。これが苦しみの原因となる痛みです。

さらに早くこの状態から脱したいと望めば望む(抵抗)ほど、この欲が増えていきます。

結果、膨れ上がった欲は達成されず苦しみが増していくことになるのです。

それでは、この苦しみを減らすにはどうしたら良いか。

簡単です。

抵抗を無くし、痛みのもとを断ち切ればよいのです。

早く状況を脱したいという望み(抵抗)を減らし

居場所はここではないと思う原因の欲(痛み)も減らせばよいということです。

置かれた場所で咲こうとすることは「欲」も「抵抗」も諦めていくことになります。

結果的に苦しみを減らす作業を行っていたのです。

抵抗↓×痛み↓(貪り)=苦しみ↓

という現象が心の中で起こっていたことになります

このようにブッダ見つけた心の科学を用いて論理的に説明すれば

置かれた場所で咲くということを覚悟することは苦しみを減らすこととなるので

あながち精神論だけでないことがわかります。

欲望により逃げ出せば、次の場所でも同じような欲望で逃げることになる。

置かれた場所で咲く努力をすることでその欲望を断ち切りなさい。

著者の渡辺和子氏はこのことを身をもって経験していたのだと思います。

すぐにでも離れるべき場所もある

一方ですぐにその場所から離れたり逃げ出したりしたほうが良いという場合もあります。

わかりやすい基準としては2つ。

まず一つ目は「心身に生命の危険が生じるような場所」

家庭でいえば虐待を受けたり、学校で言えばいじめられたり、

職場で言えばハラスメントを受けたり残業が多すぎたりで耐えられない場合です。

体と心が壊れてしまえば元も子もありません。

二つ目は「欲望により依存的になっている場所」

アルコール中毒の人がキャバクラで働いたり、ひきこもりの人が親もとにいたりです。

貪った欲望を満たし続けることができる場所からは離れた方が良いということです。

例えれば食欲の多い高血圧の人に、毎日バイキングを食べさせるようなものです。

このように置かれた場所に執着することの危険性も知っておく必要があります。

ブッダの心の科学をもとにすれば

置かれた場所で咲くべき場合とそうでない場合がわかります。

種から枯れるまで全てが幸せであることに気づきなさい。

著者にそのつもりはないことはわかりますが

置かれた場所で咲くという言葉は

咲くことが幸せで、それまでは努力の時です」

というイメージを浮かべさせます。

ブッダの心の科学ではどのような答えが導かれるのでしょうか。

それは

種の時も芽吹く時も青葉の時もそして咲く時も、さらに枯れるときも幸福です。

現代社会では「咲くことが幸せである」という洗脳をしています。

それは誤りです。

お金を持っていなくても身近な人と幸せを感じている人はいます。

仕事で大きな成果を残していなくても、やりがいで幸せを感じている人はいます。

結婚していなくても、幸せを感じている人がいます。

共通して言えることはお金や名誉、承認などの欲望に支配されず

今の状態そのものを有り難いと思っていることです。

欲望は快楽とそれ以上の苦しみを生みます。

そして今を不幸と錯覚してしまいます。

煩悩を減らせば減らすほどその錯覚に気づき自分が既に幸福であったことを悟るのです。

手に入れるのではなく、手放すことで幸福が何たるかを知るのです。

詳細を語ることは今日の記事からは少しそれるので

ブッダの心の科学に興味があれば、他の記事を是非読んでみてください。

まとめ

  • 書籍「置かれた場所で咲きなさい」は賛否両論
  • 批判の原因は置かれた場所で咲くことの良さが論理的・科学的に説明できていないため。
  • ブッダの心の科学(苦しみ=痛み×抵抗)で説明すれば、置いた場所で咲こうとすることは逃げたい欲望(痛みとそれを加速させる抵抗)を制することとなり、苦しみが少なくなる。
  • 生命の危険がある場所、欲望による依存を加速してしまう場所からは離れたほうが良い。
  • そもそも私たちは咲かなくても幸せである。

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