はじめに
みなさんこんにちは。
今日はウサギと亀のお話の問題点ついて記事に書こうと思います。
ウサギと亀のお話は小学校低学年の道徳の教科書にも載っているので
知らないという方はいないと思います。
記事を書くにあたって概要を振り返ってみましょう。
ある日、ウサギが亀の足の遅さを馬鹿にします。
馬鹿にされた亀は小山のふもとまで、かけっこの勝負をウサギに挑みました。
ウサギは持ち前の足の早さで、どんどん先に行きます。
亀があまりに遅いので、ウサギは途中で昼寝をしました。
そのウサギを横目に亀はゴールにむけて頑張り続けました。
ウサギが起きたころには小山のふもとで大喜びする亀の姿がありました
さてこのお話。
「勝負をあきらめずゴールに向かって努力をすることが大切である」
ということを学びます。
しかし、私は問題提起をしたいと思います。
亀の生き方は正しいのでしょうか?
私は少し違うのではないかと思います。
努力は正しいのですが努力の方向性が間違っていると思っています。
間違いの詳細を説明する前に
ブッダの心の科学をもとに私の結論を言います。
「勝負をした時点でウサギも亀もどちらも不幸である」
なぜそのようになるのか。
日本の社会でこの事例を例えながら説明したいと思います。
結論に至るまでの過程を楽しみください。
ウサギと亀を日本の社会で例えると
ウサギと亀のお話を日本の社会で例えてみましょう。
例えばビジネスマンの場合
ある時、仕事のできる先輩が、仕事の遅い後輩を馬鹿にしていました。
馬鹿にされた後輩は、社内で新事業の企画コンペが開かれることを知り
先輩に勝負を挑むこととします。
先輩がコンペ資料を怠けて作らないのを、横目に後輩は地道に作り続けました。
そしてコンペ当日、後輩の作り上げられた丁寧な資料が最優秀賞をとったのでした。
例えば女性の友人関係
ある時、おシャレな大学生A子さんが、友人で冴えないB子を馬鹿にしていました。
馬鹿にされたB子は、ミスキャンパスが開かれることを知り
A子に勝負を挑むこととします。
A子がおしゃれさに磨きをかけない間、B子は地道に自分を磨いていきました。
そしてミスコン当日、B子は見事オシャレな見た目となり
ミスキャンパスに選ばれたのです。
どうでしょうか。
先輩に勝とうと頑張った後輩
A子に勝とうと頑張ったB子
二人とも勝負に挑み勝つことができました。
物語はここで終わりです。
さて二人は望んでいた人生を歩んでいるのでしょうか。
そのことをひも解くために、ウサギと亀の話を心理の深層まで潜ってみましょう。

何故ウサギは亀を馬鹿にし、亀は勝負を挑んだのか。
ウサギは何故亀の足の遅さを馬鹿にしたのでしょうか。
ウサギは自分の足が速いことは知っているはずです。
今更、亀と比較をする必要はありません。
ウサギは自分の満たされない想いを(退屈。嫌なことがあった。誰からも認められないetc)
亀を馬鹿にすることで満たそうとしたのです。
つまり、ウサギの心が弱かったからに他なりません。
それでは亀は何故ウサギに勝負を挑んだのでしょうか。
亀も自分の足がウサギより遅いことは知っているはずです。
今更、ウサギと比較する必要はありません。
亀が馬鹿にされて腹がたったのは
亀自身が足の遅さを自己否定していたからです。
馬鹿にしたウサギと同じくらい亀も自分のことを認めていなかったのです。
だからこそ勝負を挑むことで、そんな自分を誤魔化そうとしたのです。
ウサギは自分の満たされない想いを、相手にぶつけることで満たそうとしました。
亀は自己否定している自分を相手と勝負することで誤魔化そうとしました。
怠けたウサギ・ひた向きに努力した亀という行動の視点でみれば正反対ですが
ブッダの心の科学に基づく心理の深層から見れば
自分の思いを相手で満たそうとしたという視点で全く同じなのです。
日本の社会で例えた話も同じ心理です。
先輩の心が弱かったので、自分を満たそうと後輩を馬鹿にしました。
後輩も自己否定していた自分を、勝負に挑むことで誤魔化そうとしました。
A子の心が弱かったので、自分を満たそうとB子を馬鹿にしました。
B子も自己否定していた自分を、勝負に挑むことで誤魔化そうとしました。

最初の結論をもう一度言います。
「勝負をした時点でウサギも亀も不幸」
すこし伝わりましたか。
勝負をした時点で同じなのです。
ウサギと亀、先輩と後輩、A子とB子
この話の世界に幸福は少ないのです。
あるのは満たされない想い、終わらない努力、勝利という一時的な快楽だけです。
それではどうすれば良かったのでしょうか。
結論に向かいましょう。
ウサギだから見える景色、亀だから見える景色を楽しもう。
ウサギと亀の物語はすぐに終わります。
しかし私たちの人生はすぐに終わりません。
続いていくのです。
亀は山のふもとをゴールしました。
本当に亀はふもとに向かっている間、幸せだったのでしょうか。
そもそも亀はそこに行きたかったのでしょうか。
後輩は勝負の準備している間、幸福感を味わっていたのでしょうか。
コンペで優勝して、会社内からチヤホヤされたかったのでしょうか。
今後も自分の仕事が遅いと思われないように、
周りの目を気にして頑張り続けるのでしょうか。
先輩から怨みをかっているかもしれません。
今後も本当に仕事を楽しめるのでしょうか。
一時的な快楽のために勝負を挑み続ける人生を歩むのでしょうか。
B子は勝負をしている間、幸福感を味わっていたのでしょうか。
ミスキャンパスになって、大学内でチヤホヤされたかったのでしょうか。
今後もさえない自分と思われないように
周りの目を気にして磨き続けるのでしょうか。
A子からも怨みをかっているかもしれません。
それでも大学生活、卒業後も楽しいのでしょうか。
一時的な快楽のために勝負を挑み続ける人生を歩むのでしょうか。
もうそんな苦しい閉塞感のある生き方はやめませんか。
仕事が遅いが悪いことでしょうか。
冴えないことが悪いことでしょうか。
同じ土俵に立つから勝者と敗者が生まれるのです。
相手からどんなに否定されても
自分が受け入れてさえいれば傷つくことはありません。
勝負自体が必要ありません。
遅いからこそできること。
冴えないからこと見えること。
そんな世界があるはずです。
亀も後輩もB子も向き合うべきは
相手ではなく自己否定をしている自分です。
自己否定にもとづく努力は苦しいものです。
ありのままの自分を受け入れて
自分が行きたい道に向かって努力することこそ
穏やかで豊かな人生を歩むことになるのではないでしょうか。
ウサギと先輩もA子も同様です。
満たされない想いを相手にぶつけても一時的な快楽しか満たされません。
満たされない原因となっている自己の欲望と向き合い
その欲望のパラメーターを下げていくことに注力することこそが
人生を穏やかに幸せに暮らしていく秘訣です。
満たされていれば相手を馬鹿にして満たそうという行動すら
必要なくなるのです。
不幸の螺旋から脱出することが可能となります。

21世紀に必要となる新しいウサギと亀の物語
あるところに、足の速いウサギと足の遅い亀がいました。
ある日、ウサギが亀と出会いました。
ウサギは亀に聞きました。「亀さんは歩みが遅いんだね。どこに行くんですか」
亀は答えます。「そうです。時間はかかるけど海に行くんだ」
亀はウサギに聞きました「ウサギさんは歩みが速いですね。どこに行くんですか」
ウサギは答えます「時間はかからないけど、あの木まで果実をとりに行きます。」
お互いが言いました。「気を付けてくださいね」
亀はひた向きに海へ、ウサギは昼寝もはさみながら山のふもとの果樹に向かいました。
お互い無事に目的地に辿り着きましたとさ。
おしまい。

まとめ
- ウサギと亀は誤った生き方を植え付けてしまう。
- 勝負をした時点でウサギも亀も不幸
- ウサギは自分の満たされない想いを、亀を馬鹿にすることで満たそうとした愚か者
- 亀は自己否定している自分に気づかず勝負で誤魔化そうとした愚か者
- 自分の思いを相手で満たそうとしたという視点でみればウサギも亀も同じ
- ウサギは自分の満たされない想いに。亀は自己否定に向き合うことこそが大切。
- 自分が行きたい道に向かって努力することこそ穏やかで豊かな人生を歩むことになる
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