2500年前と現在が交わる時
私がブッダの教えを学んだ時に思ったことは
「これが2500年前の教え?現代の人が考えたんじゃないのか。」でした。
真理とはこういうことかと思い知らされました。
「いつの時代でも性別が違っても年齢が違ってもどんな時でも通じる原理」です。
環境は変われど、人の心の仕組みは今も昔も変わっていないことがわかります。
そのような真理にブッダが何故たどり着けたのか。
それはブッダ自身が悩み苦しんだ経験から、それを何とかしようと試行錯誤した結果たどり着いた答え(真理)だったからです。
つまり無茶苦茶尊敬できる人生の先輩の経験談だと思ってください。
意外と身近な存在です。
ブッダの繊細エピソード
最近、「繊細さんの本」が売れていますよね。
ブッダもかなりの繊細さん。HSP(Highly Senshitive Person)だったかもしれません。
それを裏付けるようなブッダの出家エピソードとして
四門出遊という話があります。
釈迦族の王子であった釈迦は比較的裕福な暮らしをしていました。
父である浄飯王(じょうばんおう)があまり釈迦を外に出さないようにしていたので、ほとんど城内での生活でした。
そんな釈迦も大きくなり、連れの人と共に東の城門から外に出てみました。
するとそこに腰も曲がり、よぼよぼの老人がいたのです。
釈迦「お、おい!あれはなんだ?あれは人か」
連れ人「あれは老人でございます。」
釈迦「まじかよ。。。人ってあんなにヨボヨボになるのかよ。嫌だよ。。。」
ショックを受けた釈迦は城内に戻ります。
少しずつ心の傷も癒えてきたので、もう一度外にでようとします。
今度は南門から出てみました。
するとそこには、寝たきりで皮膚もただれ苦しむ人がいたのです。
釈迦「おおい!あれはなんだ?あの人はどうなってるんだ?」
連れ人「あれは病人でございます」
釈迦「まじかよ。。。病気になるとあんなことになるかよ。。嫌だよ。。。」
またまたショックを受けた釈迦は城内に戻ります。
その傷も癒えたころ、今度こそと思い、外に出てみました。
今度は西門から出てみました。
するとそこには、動かない人を運ぶ行列があったのです。
釈迦「おおおおおおい!あれはなんだ?人が動いていないぞ」
連れ人「あれは死人でございます。葬儀をしているのです」
釈迦「えええ、みんな死ぬのかよ。嫌だよ。。。」

釈迦は城内に戻りました。
もう心は苦しみでいっぱいでしたが、もう1回だけ出てみようと最後の門である北門から外に出てみました。
するとそこには袈裟を羽織った人が立っていたのです。
釈迦「おい!あれはなんじゃ!」
連れ人「あれは僧でございます」
釈迦「す、すげぇ。こんな苦しい世界なのに、なんか・・・こう・・・凄い落ち着いてる」
そう思った29歳の釈迦は王子という肩書を捨てて出家します。
このエピソードはおそらく脚色されているものの、おそらく老、病、死というものに
釈迦が苦しみを抱いていたことは事実だと思われます。
それは釈迦の言葉が書かれた仏典においても老、病、死というものへの記載が多くあることから
間違いないでしょう。
四苦八苦はブッダから
ちなみにブッダはこの四門出遊後、この苦しみある世界に「生」まれることが苦しみであるということを言いました。
日本語に四苦八苦という言葉がありますが、これは仏教用語であり
四苦は「生、老、病、死」の四つのことを言っています。
八苦は?八苦についても説明してよ?
と興味を持った人のために書いておくと
愛別離苦(あいべつりく):愛しい人と離れなければならない苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく):嫌いな人と会わなければならない苦しみ
求不得苦(ぐふとくく):求めるもとが手に入れることができない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく):ある事象に対して、どう考え、どう感じ、どう動き、どう行ったか、どう認識したかが盛んになると発生する苦しみ。※ざっくり言えば美人を見て、付き合いてぇええと思いすぎる感じでしょうか。
四苦八苦とは
4苦+8苦=12の苦しみと勘違いしそうですが
4苦+4苦=8の苦しみのことです。
とまあ豆知識はこれまでにして、次回の記事ではブッダ自身は教えを書物に残さなかったことについて
お話しようと思います。
「ブッダが残さなかったら誰が残したんだ?!」
と思いますよね。
ブッダにはそれぞれ最強の能力を持った10人の大弟子がいたのです。

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