ブッダが教える苦しみの仕組み

ブッダとは

はじめに

皆さんこんにちは。

社会人ブッダ~毎日が仏道~に来ていただきありがとうございます。

前回の記事ではブッダの教えがQ&A方式で書物に残されており

整理されていないので初見では教えの内容が体系的にわかりづらいという話をしました。

といこうとでブッダの教えを体系的に説明したいところですが、そもそも興味をもたなければ体系的に理解したいとも思わないですよね。
ジャンプの新連載でも1話目が面白くなければ2話目なんか読まないですもんね。
その結果、新人連載家たちは打ち切られるのです。
後半に面白い話が待っていようが、前半が面白い話でなければ打ち切られるのです。
なんと残酷な世界。
そうこの残酷を救いたもう人はブッダ

ブッダの教えを一言で言うと

さて、本題に入ります。

ということで結論から先に言います。
ブッダの教えを簡潔に言えば

執着を捨てる」です。

何だそんなことか。
と思われる方もいますが真理ほどシンプルで強烈に効くものなのです。
この執着、仏教では渇愛(渇き)とも欲求とも表現されていますが皆さんの苦しみはすべてこれで説明がつきます

何故こんな簡単なことにほとんどの人が気づかないのか。
それはたくさんの執着が重なり合い「苦しみ」となって表出される無意識の現象なので
本人がかなり意識をして分解していかないと原因に気づかない
のです。

具体例を通じてブッダの教えを理解してみましょう。

モテたいと思っている太っている人がいます。
この人がモテるために痩せようと頑張り始めました。
体重は少しずつ減っていきましたがお腹が減ってイライラします。
しかし「モテるためだ!」と思い頑張ってダイエットを続けます。
痩せてはいくものの、なかなか恋人ができません。
これだけ頑張っているのに結果がでない。
食事制限をしていることが馬鹿らしくなり少し食べてしまいました。
その結果、我慢していたものがあふれ出し、ついにはリバウンド。
「私はモテることなんてできないんだ」とより苦しくなってしまいました。

ブッダ的にこの人のはどこが良くなかったのでしょうか。
頑張ったことはいいことです。
ブッダの考え方からすれば頑張り方を間違っています
少しずつ分解していきましょう。

説明するにあたり欲求=炎と思ってイメージしてください。

例えばモテたいという気持ちは「承認欲求」や「性欲」に分解できるでしょう。
この欲求が燃えだしています。
その欲求を満たすために食事制限を始めたのです。言い換えれば食欲の炎は燃えているのにそれをより大きな承認欲求・性欲の炎で見えないようになっただけなのです。
結果、一時的に痩せるかもしれませんが、痩せなくなってきた時やモテなかったときに欲求が満たされていないので苦しみを味わうことになります。
さらに食欲の炎はそのままもしくは更に燃え上がっているのでリバウンドし、体は元通り。心は以前より苦しくなってしまったりすることすらあります。
つまり目の前の執着(今回で言えば食欲)をより大きな執着(承認欲求)で覆い隠しているだけで苦しみがあることには変わっていなかったのです。

このようにブッダの教えを理解すれば日々の中で欲求という苦しみのラットレースから抜け出していないことに気づくことができます。

じゃあこの例の場合、どうすれば良かったのでしょうか。
考え方としては簡単です。

まず食べ物への執着(食欲)を少しずつ減らしていけば良かったのです
結果的に食欲に振り回されないのでまず食欲による苦しみは減ります。
そして食欲が減っていいくので食べる量が減り結果的に痩せてもいきます。
モテたいが叶えられていないじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、なぜモテたいのでしょう?
性欲を満たしたいため?承認欲求を満たしたいため?
食欲の時と同じように、まずその炎を見つめなければ燃え盛って身を焦がしていることに気が付かなくなります。
モテたいという想いが強すぎると苦しくなってしまうのです。
モテなくても良いと思って欲求がそぎ落とされたた方が魅力的な人になったりするので、結果的に恋人もできるかもしれませんね。

まとめ

燃えている様々な欲求に気づき、それぞれの欲求の炎を個別に小さくしていく作業が「苦しみを減らす(捨てる)」こととなります。

なんとなく理解できたでしょうか。
次の記事ではブッダの教えを更にわかりやすく覚えやすくなおかつ理解を深めることのできる数式をご説明しようと思います。

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