ダイエットに失敗する理由はただ一つ

体から幸せになる

はじめに

さて皆さんはダイエットをしたことはありますか。

私はあります。

中高生から社会人の初期までは太っていたこともあり、何度もダイエットをしました。

一時的に痩せるものの必ずリバウンドしていたのです。

同じような経験をしたことがある方もたくさんいるのではないでしょうか。

失敗すると

「私の努力が足りないから・・・」

「なんて心が弱いんだろう・・・」

このように考えてしまいがちです。

しかし、本当に努力不足や心の弱さが原因なのでしょうか。

違います。

「ブッダの心の科学」を理解した今であればダイエットを失敗してしまう理由が

手に取るようにわかります。

今では運動も食事制限の努力もしていませんが全く太っていません。

そして太るイメージすらできません。

それではダイエットを失敗しない方法の結論を先にお伝えしましょう。

「承認欲求や安全欲求でダイエットをするのではなく食欲を減らせ」

この記事は

ダイエットに失敗を続けている人

ダイエットはできたがリバウンドしないように努力し続けている人

そのような方を対象に記事を書いております。

皆さまが一生、ダイエットと向き合わなくて良いようになりますので

是非、結論に至るまでの過程をお楽しみいただければと思います。

巷にあふれるダイエット方法は応急処置でしかない

ダイエットをしようと思った際にまず何をするでしょうか。

おそらく多くの方が運動と食事制限をしてダイエットを試みると思います。

だからこそ巷にはダイエットに適したエクササイズの本や

ダイエットに適した食事の本が多数置かれているのでしょう。

こうしてダイエットをする人たちは運動と食事制限という

目に見えるわかりやすい目標に向かって頑張り始めるのです。

そしてダイエットに成功したあとも

今度はリバウンドしないようにという目標に向かって頑張り続けるのです。

これは例えるなら、「一生太らない」という

途方もない目的地に向かって走る車と同じです。

車が壊れたり、ガソリンが切れてしまえば目的地にはたどり着くことはできません。

この途方もない目標でありながら、たどり着かないと

「私の努力(ガソリン)が足りなかった」

「私の心(車の性能)が弱い」

と自分を責めるのです。

その人達にうわべだけの書籍はこう囁いているのです。

「ガソリンをもっと入れましょう」

「車の性能をあげましょう」

これは目的地が正しいということが前提であれば成り立つ理論です。

しかし私ならこう言います。

「あなたの車は間違った方向に進んでいますよ」

もう終わりなきダイエットという目的地に向かって走る必要すらないということです。

応急処置ではなく根幹治療と言ってもよいでしょう。

それでは間違いに気づくために

まずダイエットをしようと思う理由を考えてみましょう。

  • 痩せることでモテる。認められる。自信がもてる(承認欲求)
  • 痩せることで健康になる。病気が悪化しない(安全欲求)

大きく分けてこの二つではないでしょうか。

痩せることでモテたいというダイエットは限界がくる

「あの男性・女性にモテたい」

「美しい女性・男性になって認められたい(自分を認めたい)」

ダイエットを始める人の多くがこのような理由からではないでしょうか。

最初は実現した未来に希望を抱き、頑張ることができます。

そのエネルギーでしんどい運動も乗り切れるでしょう。

しんどい食事制限も耐えることができるでしょう。

しかし、どこまで行ってもしんどさが付きまといます

人はしんどいことを永遠に続けることはできるのでしょうか。

多くの人ができないでしょう。

そもそもが努力をし続けるという不可能なミッションなのです。

人によって違いがあるとすれば1か月後に限界がくるのか、何年後かなのかというくらいです。

ダイエットをやめたあと、何故リバウンドしてしまうのでしょうか。

仕組みはシンプルです。

運動をやめてしまい、食事を必要以上にしてしまうからです。

そして、失敗した自分を責めてしまい

ダイエットをする前以上に自己嫌悪に陥るのです。

病気になってダイエットをせざるを得ない人ですら失敗する理由

病気になってからダイエットを始める方がいます。

医者から「痩せないと病気が悪化しますよ」と注意を受けるからです。

自分の健康が脅かされるのです。

運動や食事制限をすることは身の安全を守ることと同義です。

そのような人は恐怖感から最初は頑張って痩せる努力をするのです。

しかしその恐怖感は時間と共に薄らいでいき、じわじわ太りはじめたり

何なら「こんな生活をするくらいなら不健康で良い」と

ダイエットそのものを放棄してしまう人がいるのです。

そうするとまわりの人たちがこういうのです。

「あの人は命しらずな豪快な人だ」

「あの人は好きなように生きることを目標にしたんだ」と。

本当にそうでしょうか。

ただただ食欲という欲望と向き合わなかっただけではないでしょうか。

全ての元凶は最強のアイツのせい

承認欲求と安全欲求による原動力では

多くの人がダイエットに成功できないという話をさせてもらいました。

そもそも何故太るのかをよくよく考えてください。

「食べてしまうから」です。

これ以外にありません。

モテたいというような承認欲求でダイエットを始めても

病気を悪化させたくないという安全欲求でダイエットを始めても

食欲のエネルギーを減らさなければいずれはリバウンドします。

承認欲求と安全欲求ごときでは

三大欲求の一つである食欲に勝つことはできないということです。

つまりは食欲そのものと向き合うしかないのです。

これこそが根幹治療なのです。

私は向き合いました。

そして実体験から言わせてもらえれば、以外と簡単に倒せます。

なぜか?

人は自分が得になることであれば努力することなく行動することができます。

つまり食欲を減らすことが幸福であるということが証明できればいいわけです。

証明は可能でしょうか。

もちろんです。

食欲を満たし続けることは幸福から遠ざかる

ラーメン。

焼肉。

ケーキ。

お菓子。

大好きな食事をしている時は最高の快楽を味わえるのではないでしょうか。

世の中には食べ物の広告が溢れています。

美味しいものを食べることこそ幸せである。という刷り込みです。

そして実際に食べている間は幸福感を味わいます。

そのために食事をすること=幸福という簡単な式で食欲と向き合ってしまうのです。

この式は誤っています。

もちろん食事を楽しむことは良いことです。

しかし、副作用を知らずに楽しめば底なし沼に裸で飛び込むようなものです。

皆さまには底なし沼に落ちないように安全ロープを持っていてほしいのです。

既に落ちているひとはロープを頼りに上がってきてほしいのです。

さて食欲を満たし続けることは何故幸せから遠ざかるのでしょうか。

それは食事をしていない時も食事のことを考えるようになるからです。

「早くあれを食べたい」と頭に浮かんでいる時に「あ~幸せ」と感じる人はいるでしょうか。

そうです。

食欲が多い人は食欲が満たされていない間は不幸になっているのです。

それに気づいてください。

基本的に人間は食事をしていない時間の方が圧倒的に多いので

食事によって満たされる幸福 < 食欲が満たされていない不幸

という不等号が成り立ってしまうのです。

さらには過剰な食欲の弊害として、身体機能の低下、食後の自己嫌悪

発病リスクの増加という不幸なオプションも満載です。

これに気づけば食欲に身を任すことが如何に損なことなのかがわかるでしょう。

もし食欲を減らせばどうでしょうか。

「早くあれを食べたい」という不幸な時間が減ります。

食事によって満たされる幸福 > 食欲が満たされていない不幸

という不等号が成り立つことになります。

そして付属として、身体機能の向上、自己嫌悪の喪失、発病リスクの低下

という幸福のオプション満載です。

最初は食欲を減らすことはしんどく感じるでしょう。

でも最初だけです。

痩せるための運動も必要ありません。

ハウツー本も見漁る必要もありません。

己の食欲と向き合うのみです。

手に入れた食欲への向き合い方(価値観)は一生涯失うことはないでしょう。

もうダイエットをする必要もありませんし、リバウンドをすることもありません。

適切な量の食欲=幸福という式こそ正しいのです。

これは執着である。ここには楽しみは少なく、快い味わいも少なく苦しみは多い。これはまさに釣り針であると智慧のある人たちは知っている

スッタニパータ

注意してほしいこと

勘違いしてほしくないのは食欲を減らすというのは食べないということではありません

私が言いたいのは、人間が生きるのに必要な食事量を摂取することが

一番幸せであるということです。

モデルの方が摂食障害になったというニュースを見ることがあります。

まさに承認欲求に身を任しすぎて

食欲と適切に向き合わなかったことが原因ではないかと思います。

食べることは生きる上で大切なことです

食べすぎることは幸福から遠ざかります

食べなさすぎるということも幸福から遠ざかります

そのことを念頭におき、欲望渦巻く飽食社会を一緒に歩いていきましょう。

まとめ

  • 巷にあふれるダイエット方法は応急処置でしかない。
  • モテたいというような承認欲求ではダイエットは続かない。
  • 病気を悪化させないという安全欲求でもダイエットは続かない。
  • 三大欲求の一つの食欲と向き合うことこそが大切。
  • 過剰な食欲が一時的な快楽と引き換えに不幸を生み出している。
  • 己の食欲と向き合うことで一生涯太ることはない。
  • 適量な食事は安心という幸福を手に入れることができる。

コメント

  1. まろん より:

    はじめまして。
    こちらの記事を興味深く読ませていただきました。
    ダイエットをするただ1つの方法は食欲を減らすとのこと、まさにその通りだと思います!
    しかし、その「食欲を減らす」ことができなくて多くの人は苦労しているのです。
    それで、食欲を減らすにはどうすればよろしいのでしょうか?
    食事制限も、食欲を減らすためではないのでしょうか?

    食欲を減らす具体的な方法、および、
    食欲を減らすことと、ダイエット本によくある食事制限との違いを教えていただけると助かります。

    どうぞよろしくお願いいたします。

    • はっちゃん より:

      非常に良い質問をありがとうございます。
      記事を読み返して誤解を招く内容となっていることに気づかせてもらいました。
      まずはブッダの心の科学の結論として
      「食欲を減らすための具体的な方法としては①食欲が不幸を生み出していることに気づき考え方を整える②食事量を少しずつに適切量にしていく。③食べたいものを妄想してしまったときは瞑想する。この3段階が必要」です。

      今回の記事では①について書きたかったのですが
      記事上で「ダイエット本によくある食事制限が一律に間違っている」と読めてしまう文章になっていることが、誤解を生んでしまった要因かと思います。
      申し訳ありません。

      まろんさんがおっしゃる通り、考え方が整っている前提ですが、食欲を減らすために食事制限は必要となります。
      細かく言うと、「制限」というより「生きるために必要なだけの食事量(最低限の食欲)に近づけていく」という努力は必要になります。正精進と言います。

      それ以外の食欲を減らす具体的な方法としては
      ①食欲を刺激する「場所」に最初から行かない。避ける。
      ②食欲が燃えだし「頭においしそうな食べ物」を妄想してしまった時は瞑想する。
      瞑想というとハードルが高く聞こえますが「美味しい食べ物を思い浮かべない」と思えてもらえればよいです。そもそも最初から美味しいものを頭に浮かべないことも日々意識したほうが良いです。

      ただ、やはり一番は考え方です。
      そこまでして食欲を減らすことが幸せであると気づかなければ具体的な方法も続きません。

      ブッダは欲望を満たすことで幸福を得るのではなく
      欲望を減らすことで欲望に振り回されず、かつ満たされる時間を増やす方法を発見しました。

      大きなコップに水を注ごうとすると、多くの水が必要になります。
      汲むのも大変です。
      小さなコップであれば水を注ごうとすると、すぐに水は溢れます。
      汲むのも簡単です。

      満杯の状態が幸福です。
      汲みに行く時間や努力が苦しみです。

      小さなコップの人生が如何に幸せか。
      それをブッダは教えてくれています。
      食欲以外の全ての欲に通じます。

      まろんさんにとって満足のいく答えではないかもしれませんが
      少しでも伝われば幸いです。

      • まろん より:

        こんばんは。
        早速のご回答をありがとうございます。

        また、詳しく説明して下さりありがとうございます。
        お礼が遅くなり申し訳ありません。

        ダイエットには「食欲を減らす」ことが必要であることは誰でも分かっていることだと思います。そして、私を含め多くの痩せたい人はそれができないから苦しんでいるのです。
        はっちゃん様のおっしゃる「気持ちを整える」とは、「食欲を減らすことが幸せであることに気づく」ことでしょうか。確かにそれは、一般のダイエット本には書いていない気がします。一般のダイエット本や人々の認識は、ダイエット成功による幸せは「きれいになる」「健康になる」「モテる」であり、「食欲を減らす」ことそのものではないですよね。

        欲望というのはきりがなくて決して満たされることはない、ということは、私もそれなりに生きてきた中で感じています(^^;))。
        はっちゃん様そしてブッダのおっしゃることは本当に素晴らしくて、私も全く同感です。
        しかし、現在の資本主義は、人間の欲望を際限なく刺激することで経済、社会を回していく構造になっています。そんな中で欲望を減らすことで満たされる、ということを実践していくのはなかなか大変です。また、みんながそういう考えになったら、経済や社会はどうなるのかな・・・ということも気になります。

        また有益な記事を楽しみにしています。

        • はっちゃん より:

          ありがとうございます。
          まろんさんが言うように、現代の資本主義社会は人々の欲望を原動力として、資源を使い発展してきました。
          ブッダは「もたない幸福(安楽という幸せ)」を説いているので、欲望を捨てていけば人類の物質の豊かさを捨てていくことになります。

          かつての私は日本より幸福度が高い発展途上国のデータをみて「こんなに日本のほうが豊か(物質的に)なのにそんなわけない」と思っていましたが、ブッダの心の科学を知ってからは「比べることが当たり前で、欲望も刺激され続ける日本より、幸福度が高い(心が豊かな)発展途上国もあるよね」と違和感なく受け入れています。

          しかし、そうは言っても経済と社会がこれほど発展したあとで、「捨てる」ことは事実上困難であり、絵にかいた餅でしょう。
          私としてはブッダの教えと現代資本主社会を調和させることが最良だと思っています。

          社会としても個人としても、全てを捨てるのではなく、何を持つのか考える。
          その私なりの答えについては、またどこかで書ければと思っています。

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